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我拝師山 求聞持院 出釋迦寺

​四国霊場七十三番札所

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当山は、弘法大師ご自作の釈迦牟尼仏如来をご本尊とし衆生済度の根本道場として開創されました。山号を我拝師山、院号を求聞持院、寺号を出釈迦寺と称します。
南にそびえる高い山が我拝師山で、かつては「倭斯濃山(わしのやま)」と言われておりましたが、弘法大師ご修行により改称されました。
このお山は、弘法大師出家の原点として、一代記の中には必ず登場する重要な霊跡で、東寺、高野山と共に国内三霊場の一つと言われています。

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奥之院

捨身ヶ嶽

禅定 

​仏性の開花へ

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お大師様がまだ「真魚(まお)」と申された七歳の時、衆生済度の大誓願をたて、
「将来仏門に入って民衆を苦しみから救いたい。この大任が果たせるか、どうか釈尊の証明を仰ぎ奉る。仏は一心にお祈りすれば、お姿を現し霊験をお示し下さるとのこと。私の願いを叶えて下さるならば、どうかお姿を拝ませて下さい。もしそれが叶わないならば、この身を諸仏の供養として捧げます。」
と、一心に仏を念じ高い崖から身を投じられた。すると不思議や天女が忽ち天下り、大師を抱き止め元の所へ置かれると同時に、眉間より光明を放ち百宝の蓮華に座した釈迦牟尼仏世尊が現れて「大願成就」のしるしを示されました。この不可思議なるお釈迦様の有難さに感謝し、後に出家し大成されるきっかけになったと言うことです。
大師は成人の後、思い出のこの山に登り世尊ご出現の有難い霊験を記念し、ご自作の釈迦如来を本尊として一寺えお建立し「出釈迦寺」とし、山号は師とお慕いするお釈迦様を拝んだお山というところから「我拝師山」、院号は求聞持の法をこの場所で修したことから「求聞持院」と名付けられました。以来、寺は山上にありましたが、三百年ほど前に山麓に移って現在に至ります。元のところは「奥の院捨身ヶ嶽禅定」としてお大師様を慕う人々に、「お大師様の大願成就のご霊跡」として語り継がれ、諸願成就の祈りの場となって大師信仰の中でも重要な場所となっております。  奥の院の本堂から更に鎖を使って岩場五十メートル程登ると、稚児大師の尊像が迎えてくれます。ここが世に名高い「大師捨身のお行場」です。

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